紫波探訪ガイド

紫波の歴史概要

◎概要項目
1.樋爪氏時代の歴史と遺産
2.斯波氏時代の歴史と遺産  
3.神仏の受容と紫波の宗教遺産

◎概要項目 の説明
1.樋爪氏時代の歴史と遺産
志波城の造営 古代の日本列島では律令政府によって支配領域の拡大が進められた。当時、陸奥国と呼ばれていた東北地方は、国家に服属しない蝦夷(エミシ)が住む未開の土地とされていた。奈良時代以降、東北では各地に置かれた城柵を行政拠点として、東国(近畿以東の諸国)や北陸の各地から柵戸(きのへ)と呼ばれる多数の農民を移住させ開拓を進める一方、帰順した蝦夷を国内諸国に俘囚(ふしゅう)として移住させた。蝦夷に対する政策は、帰順した蝦夷への位階の授与、物資の提供、宴会への招待などの饗給を行う一方、帰服しない蝦夷は軍事力によって制圧するという二面性があり、さらに「夷をもって夷を制する」という政策がとられた。城柵は、蝦夷を統治するため造営した行政・軍事の両面を担う拠点施設であった。
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2.斯波氏時代の歴史と遺産  
鎌倉御家人の配置 源頼朝は藤原氏一門による摂関政治を否定し、本格的な武家政権を確立した。源頼義・義家の系譜を引く頼朝は、文治5年(1189)に平泉藤原氏を倒し、合戦の恩賞として平泉藤原氏が支配していた土地に関東(鎌倉)御家人を配置した。県内に所領を得た御家人は、『吾妻鏡』では、近江国の工藤行光(岩手郡)と武蔵国の葛西清重(胆沢・江刺・磐井・気仙郡ほか)が確認できる。記録に表れない和賀郡の和賀氏、稗貫郡の稗貫氏、遠野保の阿曾沼氏なども地頭職を得たと考えられている。保は国衙領の占有を認められた所領単位である。
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3.神仏の受容と紫波の宗教遺産

古代の神祇祭祀 仏教が伝来する以前のわが国には、土着の宗教(信仰)として原始神道(古神道)が存在した。古来の祭祀は神祇祭祀(天つ神と国つ神)と呼ばれる。古くは在地社会において氏族の長や在地豪族が祭礼と政治の一致を図るため、「国つ神」を祀る神社が創建された。「国つ神」はそれぞれの地域の祖霊神、鎮守神、産土神(うぶすながみ)である。律令政府は祭政一致の下に国家を統率するため、中央集権的な「天つ神」を基本とする神祇体制を整備した。「天つ神」とは、記紀神話(古事記・日本書紀)に登場する神々である。
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