紫波歴史探訪ガイド

コース選択案内 (音声ガイドは校正中)

◎3コース項目からの選択
 1、樋爪氏の時代コース

 2、斯波氏の時代コース

 3、宗教遺産コース

◎3コース概要説明からの選択
 1、樋爪氏の時代コース
 平泉の「世界遺産」登録を機に、平泉関連遺産としての比爪館跡や樋爪氏が注目されています。古都平泉の誕生には、その前史としての安倍氏や清原氏の歴史、さらに坂上田村麻呂による征夷事業があります。前九年合戦や奥州合戦が展開された場所が紫波郡を含む奥六郡という場所です。 古代から中世へと歴史が転換する時代に、これらの合戦によって源氏などの武士団が形成されます。この武士団によって、平泉藤原氏とつながっていた摂関政治が否定され、次に続く鎌倉幕府が誕生します。紫波町は、古代から中世へと時代が変わる歴史の舞台を追体験できる数少ない場所です  

2、斯波氏の時代コース
 奥州合戦で平泉藤原氏・樋爪氏は滅亡し、この合戦の恩賞として志波郡に領地を与えられたのが足利氏と河村氏です。足利氏は後に志波の地名を名字にして「斯波氏」と名乗りますが、紫波郡が幕府の三管領の筆頭としての要職を務めた斯波氏の発祥の地であることは意外に知られていません。 斯波氏や河村氏が統治する時代は、戦乱が多かった時代ですが、高水寺城下に発達した街区は郡山町の母体として発展します。また、耕地の開発や治水・灌漑設備も整備され、室町期から近世にかけて多くの集落や家が生まれ、今につながる農村景観の原型が形成されます。二人の領主によって統治された紫波町は、文化や習俗にも違いがみられ、近世とは違った中世社会を知る材料を提供してくれます。  

3、宗教遺産コース
 国家に服属しない「蝦夷」が住むという東北地方は、坂上田村麻呂による征夷事業などによって中央の文化や仏教が移入されました。紫波郡は征夷事業の最前線であったことや、前九年合戦、奥州合戦の舞台となったことから、多くの神仏が請来され、虚実織り交ぜた寺社の由来を伝えています。 また、各時代を通じて、神仏が習合した信仰の形、末法思想や浄土信仰を背景とした経塚や板碑などの 宗教遺産が集積されています。12世紀に開花した新仏教の教えに基づく浄土系諸宗や禅宗系の寺院は、この地方に幅広く受容されたことを示しています。紫波町は、今でも神と仏の共存関係や多くの人びとが神や仏に託した多様な信仰の形を目にすることができる「生きた歴史の教科書」といえます。


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