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 南日詰大神楽」と「蔭沼奴踊り

◎南日詰大神楽 (紫波町指定無形文化財民俗芸能)

南部公が盛岡に来て何代の頃か明らかではないが、稗貫八重畑施間口「北」家に行く途中、同地区新堀六角の庄屋で、佐藤秀右ェ門忠謙なる人の許に休泊された、その折に、友の人達が教え残したのが「六角流」大神楽であるとされている。その後、舞の手振りに工夫をこらしながら部落の人達で踊られていたと言う。
もともと武士階級の人々による舞であることから、いかめしく荘厳な舞であったと言われる。その伝承を受けたのが、南日詰京田の人達であったがその後、後継者がなくなり途絶えていたものを、明治の中頃に高橋孫十郎氏等の人々によって復活が図られ、新堀から師匠を呼び、あるいは若者達が出向いて復活し、現在まで舞い繋がられている。

◎蔭沼奴踊り
由緒としては、坂上田村麻呂が稗貫の大瀬川水争いの仲裁をした折に、喜んだ百姓と郎党が入り交じってその場にあった道具、武器を手に唄い踊ったものが奴踊りで、大瀬川から伝承されたものが蔭沼の奴踊りであるとされている (『わたしたちの文化財』紫波町教育委員会)。
現在は後継者不在で活動停止中であり、絶やさないように後継者育成が急務となっている。