東部地区(佐比内・赤沢)⇒牛の頭館遺跡⇒佐比内城跡⇒五枚平金山跡⇒伝 蓮華寺跡⇒赤沢石卒塔婆
牛の頭館
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牛の頭館遺跡 (紫波町佐比内字田屋163-9地先) 一般県道 佐比内彦部線
県道佐比内彦部線沿いの牛ノ頭と田中前に所在する中~近世の城館跡です。
機織館(彦部館)の東方約1km、佐比内川の南に位置する場所で、郭や堀の跡が残っています。
佐比内城跡
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紫波町指定史跡 佐比内城跡 (紫波町佐比内神田121) 宗教法人熊野神社所有地
県道佐比内彦部線沿いの神田に所在し、佐比内川を北から見下ろす山上に位置する中世の城館跡です。
佐比内館の主は秀清を祖とする河村氏で、伝わる種々の系図の中には、八代秀基が元中(至徳)元年(1384)に大卷館より移ったとしているものがあります。以後、斯波氏の家臣として、この地を本拠とし天正16年(1588)の主家没落時には、館主河村氏は斯波氏に従っていたと伝えられています。
現在は、熊野神社の境内となっていますが、郭を中心として内堀、土塁、外堀などが残っています。
五枚平金山跡
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五枚平金山跡 (紫波町佐比内字外ヶさわ1-2) 紫波町所有地
佐比内字外ヶ沢の紫波町佐比内サイクルパーク内に所在する金山跡です。
仙台鉱山監督局の「東北鉱山風土記」によれば、確実と思われる創始年代を治承2年(1178)とし、創始者は藤原秀衡となっています。
伝 蓮華寺跡
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伝 蓮華寺跡 (紫波町赤沢字田中58-2地先) 主要地方道 紫波江繋線
蓮華寺の寺域は、主要地方道紫波江繋線沿いの赤沢字向井ほかに広がると考えられます。
周囲の地形や方位から判断すると白山神社が鎮座する丘陵の南麓の薬師堂付近からその西側が「蓮華寺」の中心部分と推測され、磨崖碑付近が西限、薬師堂東南の南北両側の丘陵が迫り出している付近が東限と推測されています。
現在、紫波町遠山の正音寺に安置されている平安時代後半の毘沙門天立像と五大明王(不動明王を欠く)は、元来、赤沢地区の蓮華寺の仏像であったと伝えられています。
赤沢石卒塔婆群
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紫波町指定史跡 赤沢石卒塔婆群「昭和元年 磨崖碑」 (紫波町赤沢字駒場7-3)
赤沢川沿いの字駒場、梅沢家敷地の入口右手に所在する紫波町指定文化財「赤沢石都塔婆群」10基中の1基です。
この正和元年磨崖碑は、幅3mほどの岩塊で、斜面から露出し下端は土中へ、背面も斜面へ連続しています。露出した岩の前面はオーバーハングし、「窟」状になっており、「窟」の壁面に種子、紀年銘が刻まれています。
種子は「キリーク・サ・サク(阿弥陀三尊)で、薬研彫りの刻みです。記念銘は「正和元年七月廿八日」西暦1312年に相応します